27.修理エクスタシー

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去年のことです。ノートパソコンが故障して、まったく閉口しました。
修理に出さざるを得なかったのですが、驚いたのはそのシステム。なんと修理費は「内容にかかわらず」一律だと。しかも部品代や工賃、往復の送料等すべてを含むとはいえ、購入費のほぼ半額! 使用者の過失か否かも無関係。日進月歩のパソコンですから、メーカーにしてみればわざわざ修理などせず買い替えればいいじゃないか、ということなのかもしれませんが……

その点、年末にガス台の具合が悪くなった際は違いました。
修理を頼むと翌日に早速メーカーから依頼されたガス設備業者が来て、挨拶もそこそこに慣れた手つきで仕事に取り掛かります。カバーを外し、ひと通り各部をチェックし、程なく不調の原因を突きとめ説明してくれました。曰く、極めて稀なケースだがノズルの一部が結露のような症状で目詰まりを起こしている、ついてはこうして先の尖ったもので掃除してやれば、ハイもと通り。おお! 見事に火力が復活しました。この間、所要約5分。

さらに「他も点検しておきましょう」と別の点火プラグを入念に微調整して、今までカチカチカチカチと着火まで数秒掛かっていたのが、カチカチッと瞬時に点火。まさしく職人技です。
極めつけは「たいした修理じゃないから、出張費だけで」と、なんと事前にメーカーから聞いていた見積額の半分だけを請求し、さらりと帰って行くではありませんか。もう、天晴れ。作業着の後ろ姿がピカピカに輝いて見えましたよ。
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片や精密機械、片や電子部品などない器具ですから単純に比較はできません。ただ修理全般において、職人が経験と勘を発揮する機会は減っているように思います。身の回りにハイテク機器類が増えたことや、修理よりも買い替えという風潮が強まったことが背景にあるのでしょうか。

でも個人的にはこの「修理」が好きです。見るのも、自分でするのも。何かこう、快感がありますよね。モノを長持ちさせる喜びもさることながら、難題を解決する道程に一種の高揚感があるのです。
それに修理は学習機会としても貴重です。どういう仕組みになっていて、どこが弱点で、どう改善すればより良くなるか、そういうことが修理の過程で見えてくるからです。失敗は成功の父だか母だか、とにかく学ぶべきことの多くは失敗例にこそあります。

お店づくりにおいても、想定外だった古家の解体補修に膨大な時間と労力を費やしていたころ、「これがなければ……(もっと早く進むのに)」と何度も思いました。でももしこの「解体」と「修理」から始めていなければ、ここまで進んで来られたかどうか。ほとんど何も知らなかったところから、家の構造や素材の性質、長所と短所、細工の工夫や現行の工法と組み合わせるアイデアなど、必要なことの大半を現場での試行錯誤から学んだのですから。
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修理は脳を刺激し活性化します。なおかつ手先を(時には全身を)使います。成功すればドーパミンが分泌され脳が喜びます。たとえ首尾よく修理できなくてもそこまでやれば未練なく捨てられますし、逆に「使い切った!」という充足感が得られるかもしれません。まあ、良いこと尽くめです。
「モノを大切にしないとバチが当たる」とよく教えられますが、今の子どもに「バチ」は通じにくいかもしれません。これからは「モノを大切にしないとアホになる」と言い聞かせてはいかがでしょう? というか、元来子どもは分解したり直したりするのが好きですからね。大人こそ肝に銘じなければ。
(2009年4月)